Googleのアートプロジェクトはすごく筋が通っている


■ 「美術館はインフラです」
Googleの思想はやはり一貫している。こういった部分にまで思想を徹底できる企業は、強い。あまりに強い。
そして、「グーグルは美術館を食いものにしていやらしい」。そう思った方もいらっしゃるかもしれない。


その直感は、正しい。

Art Projict (powered by Google)


私はこのGoogleのアートプロジェクトを見てこの本を思い出した。

現代アートの舞台裏 5カ国6都市をめぐる7日間
現代アートの舞台裏 5カ国6都市をめぐる7日間

現代アートの世界を紹介した本*1であるが、ここに書いてあることは実に明快である。

  • アートは欲望
  • 美術館は空気


要するにこういうことだ。時代をつくったパトロンたちの欲望を吸いとってアートは大きくふくらんでいく。そしてその投資的なアートの終焉の地が美術館なのである。美術館に収蔵されることによってそのアートの投資的価値は消滅する。そして「お役ごめん」となったアートは"空気"になる。歴史をつくった欲望の残滓は、すべての人々に開放されるのである。





Googleアートプロジェクトが美術館にもたらすもの
そしてここにきてサービスがはじまったGoogleアートプロジェクトが美術館にもたらすものは、なにか。


46.2%の人が「美術館に行かない」――その理由は?

美術館には行かないという人(46.2%)に、その理由を聞いたところ「きっかけがない」(46.0%)と答えた人が最も多かった。


そう、美術館の再インフラ化である。Googleのこのサービスによって美術館はふたたび"きっかけ"を取り戻す。Webによって、すべての人に、平等に、アートの、欲望の残滓を空気として共有する。元来Webとはそういう技術ではなかったか。


さらに、このプロジェクトに備え付けられた機能が無意識と呼ぶにはあまりにも象徴的である。Googleアートプロジェクトはただ鑑賞できるだけではない。公式YouTube動画でも説明されている通り、私たちはそこで"議論"できるのだ。私たちはこのアートについて議論することもできるのだ。これを「公共圏」と呼ばずしてなんと呼ぼうか。Googleによって美術館は再インフラ化されただけではなく、公共圏化されつつあるのである。私たちはこの機能で歴史をつくった欲望を議論できるのだ。人間の所業"ART"、これでもかというほど象徴的ではないか。






■ グーグル、そのあまりにも公共的な存在
最初の直感に戻ってみたい。「グーグルは美術館を食いものにしていやらしい」、なぜこのGoogleのプロジェクトを我々はいやらしく感じるのか。いうまでもなく、1企業が空気を提供しているからである。空気はGoogleの株主だけのものだったか。


いよいよGoogleはそこまでの公共性を帯びつつあるのだ。もはやWeb時代の世界政府である。
そして私たち"有権者"はこう問わなければならない。


Googleの"Don't be evil"という社是にすべて任せていていいのか、と。



@YMKjp

*1:唐突だが、私はもはや村上隆以外の日本のアート言説をまったく信用していない。そしてその村上がオススメしていたのがこの本だった