アマゾンと税金とテキサス州

「19世紀は国家の時代、20世紀は企業の時代、21世紀は個人の時代」と言った人がいた。

この三者の関係を改めて考えさせられるケースがある。


本当は怖いアマゾンの話―Amazon Tales of Horror

アメリカでは州ごとに消費税が全然ちがい、客が州外から通販でモノを買うと消費税がつかないところが多い。アマゾンはこれを拡大解釈して、州内に倉庫があってそこから州内に発送されていても、取引は本社を置くワシントン州で行われたものとして、テキサス州内で売れた本については消費税を払っていなかったテキサス州政府が今年初め、これを不服として追徴金2億7000万ドルを支払えと訴えを起こしたところ、アマゾンは、だったらテキサスの倉庫を閉鎖して今後もテキサス州には倉庫を作らないと脅しをかけた。



アマゾンの「横暴」は問題でない
この記事自体はアマゾンの「横暴」について扱っている。しかしその点に関してはアマゾンは自らの規模の優位性に則って動いているだけの話だ。そして心配せずとも、僭主は市場原理で淘汰される時代になった(グーグルの「薄利」については言及するまでもない)。
プラットフォームは強いが、金にならない。今は過渡期だから歪みが生じているが、長期的に見ればプラットフォームは「金のなる木」とは言えない。選択肢にあふれる時代だから、プラットフォームで莫大な利益を生み出すことは難しいだろう。



アマゾンと税金
アマゾンの徴税問題は地元住民にとっては雇用の問題もある。しかしこの件の本質はやはり税金だろう。この種の問題はすでに「タックスヘイブン」から指摘され続けてきたことだ。金融やネット系の企業の場合、どこで商売するかは重要ではない。アマゾンもそうなっていく。電子書籍に倉庫は必要ないからだ。あらゆる企業がそうなっていくにしたがって、「どこに本社機能があるか」という点を基準として徴税することはむろん難しくなっていく。実態との乖離うんぬんではなく、そもそもオフィスすらなくなっていくのかもしれない。ではそういった展望を元にして国家は徴税をどのように構想していくべきなのだろう。



税金と国家
国家の仕事は、国民から税金を徴収し、その配分方法を決定し、それを行うことだ。そして、国家のボリューム自体は減っていくだろう。ツルペタ政府だ。
新しい公共」の動きはたくましいが、あくまでもそれは国家・自治体の仕事の範疇と市場原理へどこまで任せるかということについて線引きをするための合意形成手段でしかない。もっと欲深く行こう。
国家の仕事は安全保障や警察などの治安分野と、交通・エネルギーなどのインフラ、(そして場合によっては)わずかな所得再配分機能に限られてくるとしか思えない。
国家・自治体はアマゾン(あるいは楽天ブックス)を許容するしかなくなってきている。




僕のアマゾンへの愛は以下のエントリーにて
Amazonの思想が知れるのは(今のところ)本書だけ!: 潜入ルポ アマゾン・ドット・コム - 新書いとおかし



@ymkjp


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