富士登山日記(3000m級ムラ社会がバブル病だった件)

富士山で休憩してる僕ら家族におじいさんが「若いのに休憩かぁ?」みたいなこと言って、弟(19)が怒っていた。
で、父(49)は「あんなおじいさんになりたくないなぁ」と。
弟(17)は「…。」


登場人物

  • 父(49)会社員
  • 俺(21)大学生
  • 弟(19)大学生
  • 弟(17)高校生
  • おじいさん(60代?)
  • おばあさん(60代?)




頂上に登った僕のつぶやき

頂上なう。
初めてなのに急いで登ったせいで高山病気味だけど、この気分の悪さの原因は血中酸素濃度だけじゃない。
富士山、いや登山はなんてムラ社会→高度経済成長の流れを色濃くのこしているんだ!
登山ブームは言うまでも無かったけど登って実感した。
http://twitter.com/YMKjp/status/20353581505

これは冒頭の老人たちを通してのみならず、「もう少しで頂上です、頑張ってください」の山登りこえかけ運動の結晶としても感じました。




「若いモンに負けてない俺カッケー」おじいさん
登山は最近ブームですが特に富士山は大人気*1
6号目くらいでしょうか、「お、若いのに休憩かぁ?」と休憩している僕たちを抜かしていくおじいさんがいました。
僕たちは父を除くと全員登山初心者だったため高山病にならないためにゆっくり休憩しながら登っていたのです。
そのコースは富士宮口という父曰く上級者向けのコースだったので、おそらく、そのおじいさんと連れのおばあさんはなかなかの上級者だったのではないでしょうか(少なくとも装備を見る限りそう見えました)。
まあ様子をみるに「若いモンに負けてない俺カッケー」な心情を持っているようでした。
まあ正直なハナシ、むかつきましたが「若かったら休んだらいかんのかい」と言い返したいところでしたが、父が「へぇ」と言ったくらいで大まかに無視していました。
ちゃんちゃん Fin.




「お、若いのに休憩かぁ?」に耐えられない弟
Fin. にはならず、その後登山を再開してもうちの若いもん(弟)が苛立っているのです。
弟(19)「早く抜かそうぜ(イライラ」
弟(17)「…。」
これはちょっとよくありません。
「若いのに休憩かぁ?」への有効な対処は2通りしかありません。

  1. 言われたときにその場で言い返す。理路整然と若者が休んでもよい理由を。
  2. 登山で抜き返す。若者の体力任せにぶっちぎる。

弟に、若者に見えていたのは亡霊です。
高度経済成長期を、未曽有の好景気を経験した世代です。バブルを夢想しつつなくなっていく世代です。
右肩上がりでイケイケドンドンでやってきた人ですから、その人を追い越すことは不可能に近いです。
いや、若者の体力という意味ではなく(この時点ですでに僕は現代社会の暗喩としてその状況を冷徹な目で見ていました)。
つまり、弟は亡霊に声をかけられムキになっています。
たまたま登山で出会った人なんだから嫌な人もいるんだから無視すればいいのに、早く登ろうとします。
この時点で「富士山てっぺんに登頂する」っていう目標を忘れちゃっています。
よくない。




ゆっくりでも一歩ずつでも登れば頂上に立てる?
おじいさんは高度経済成長期の亡霊で、それを弟はムラ社会的にすっごい意識します。
これは弟だけでなく、父も、そしていかんせん僕もでした。
それどころか、周りにいる人たちもそうです。
うちの家族は全員背が高く、服装も派手でサングラスをかけていて目立ったのかわかりませんが、ものすごくライバル意識をもたれていました。
ジトッとした妬みのような(まあ周りにいた外国人観光客は高慢にも"自由に"登山していました)。
家族はそれを感じ取っていて、その瞬間、おじいさんを抜かすことに集中したのです。
(!)
するとなんでしょう、しんどいんです*2
それまでは出発前にDVDで付け焼刃で予習した田部井淳子流の「ゆっくり一歩一歩着実に登っていく」やり方をしていたのですが、どうでもいいおじいさんに振り回されて家族の登山ペースが乱れて疲れてきたのです。
これは自転車置場の議論の典型的な例で、おじいさんによって富士登頂という目標が見えなくなってしまっています。
その後、僕たちがそのベテランおじいさんを若い力で押し切ってぶっちぎったか、おじいさんカッケーに終わったかはさておき、これは現代社会の暗喩と捉えたというのが僕の富士山日記です。
むしろ、登山の場合は「ジジイぶち抜いたぜ、ザマア」でいいんでしょうが(?)、
現代社会は端的に言って資源が少なくなってきていて高度経済成長は難しいと言われているわけですから、スピードとスマートさの軸で勝負するタームからは明らかなパラダイムシフトが必要で、実際それはすでに起こってきていて、その流れに僕は普段ドップリと浸かっているためにその現実Aと現実Bのギャップに非常に戸惑ったわけです。




登山をディスればいいのか from 金魚鉢
では周りの人間をムラ社会的で、高度経済成長期のどうしようもない亡霊が散見されるっていうことにして、登山をバカにしておけばいいのかと言えば、それは建設的じゃないねっていう結論に至りました。
そんな周りを小馬鹿にして、自分のプライドを死守するようなために生まれてきたんでないでしょうと。
そんなのは、仲の良いコミュニティをつくって、傷を舐めあうような場所(僕は金魚鉢っていう言い方が気に入っていますが)でたまにやればよいのであって、基本的にはもっと先の方を目指したほうがいい。
先人が作ったシステムのダメな所を(いい部分を享受しつつ!)叩くような、スネカジリ行為は慎みたく思う。
ただ、だからといって、先人の作ったプラットフォームに乗れば必ずしもそれがいいとは言えないと、ヒシヒシと感じる。
だから、製造業は製造業でも従来の自動車に限っているわけではないし、また近代国家の枠組みにとらわれる必要もない*3ので、そういうところでは自由に選択していけばいいのだと思います。
富士山に登るっていう目標を忘れずに、とらわれずにやっていこうと思った。
弟(17)「…。」



Written by 富士山麓オウム鳴く@YMKjp (Twilog)

*1:かくいう私の父が登山にハマって、私自身「一度くらい登っておこう」とそれに随行する形で登山しました。

*2:しんどいって関西方面でしか使わないんですね

*3:基本的に小林よしのりの言説は下手な知識人よりもまっとうなことを主張しているとは思うが、明治時代に制定された国体や領土というものに拘泥するという意味では気にしすぎというか、もっとべつのところで日本がチカラを持てば、いい方向に転ぶんじゃないかなぁと思ったりする