EUと限界集落からおさらばする

鈴木栄太郎の「結節機関」という概念から世界〜限界集落を捉える

鈴木栄太郎の都市のネットワークというのは受け入れられているようです。
国や都市が結節機関として繋がっていく様子は想像がつきます。


1. 暴力の流れ
結節機関の上位から下位への「暴力」という要素です。


2. グローバル化の文脈における最上位の結節機関
それは、もはや資本主義や自由主義が西欧で産声を上げた頃からは想像もしなかったほどに地球の中が情報機器などによりつながって地球は“小さく”なっているといわれるなかで、一方、国連は上手く機能せず、EUには内部問題が噴出し、コスモポリタニズムには何か決定的に欠落したものを感じざるをえません。


3. 結節機関の最末端、限界集落
限界集落はまさに枝葉のようにその木々の生命力と同様に、朽ちることもあるのではないか。
これは功利主義による悪しき指摘だと言われるかもしれないが、都市を無理に維持することこそ自然の摂理に逆らっていて人間のおごりであるという直感的な違和感がある。
生身の人間は死ぬことを受け入れ(るしかなく)、むやみな延命処置よりも尊厳死を選ぶことが提唱され受け入れられつつあるのだから、その生身の人間が集合して作られた村落にはその概念が敷衍されても問題ないように思える。
限界集落のクオリティオブライフとでも言えるかもしれないが、限界集落を“いきいき集落”と呼称することによってその捉え方を歪めるようなことをするよりは、的確な“村落の尊厳死”を提唱することもできるのではないだろうか。


Written by @YMKjp