批評と物語のちょっとした違い

先日の記事の続き。

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批評もアニメや小説、新聞と一緒
批評も小説と似たようなものです。
(ちなみに、僕は小説などに比べれば批評は結構読みます)
批評は、ジャーゴンと呼ばれる「現代思想用語」などを使って、うまく高尚に見せかけて、時代を代表する事件などをスッパリ"ブリリアント*1"に断罪します(そういうところは、うまく読者をくすぐる「エンタメ技法」であって、アニメとかと似ています)。
批評は事件とかを断罪することによって、「見方の提供」をします。これも、アニメや新聞などと一緒で、ある意味で「共感」の提供です。つまり、批評は、それ自体は非常に鋭利な文章ですが、アニメや新聞などの「物語装置」と同様にそれが読まれた途端に大衆の不安をやわらげるものになります。



批評と物語のちょっとした違い
しかし一方で、批評と、アニメなどの物語ではなにが違うのかと言うと、まだ物語によって料理されていないむき出しの「事象/事件」の事実そのものを知るという点において、アニメなどに比べて「批評のほうが効率が良くて、マシ」という点です。批評は、大衆へ共感を提供するような側面を持ちつつも、それなりのむき出しの事実は担保されている印象を受けます。
なぜ批評のほうがマシなのかは、たぶん、批評というのは「さらにメタ(高次)な立場に立った人が勝ち」というものだからです。
もともと、批評は、事件やら作品やらを二次的に扱う文章です。つまり、構造的によりメタな視点から書かれるものですから、その書き手はすでに事件やらを選別しています。その事実の選別という点において、高次に立たず現実を単に描く物語よりは効率的になりやすいのです。
まあ、そもそも批評は、他分野からの概念の影響やらから素早く題材を取ったりしなければならないリサーチ力や、現代思想用語たるジャーゴンを使いこなさなければならない分、少なくともそういう意味においてはクレバーな著者によるものが多いため玉石混淆の度合いは他の「物語装置」に比べればマシなのかも知れません。


Written by [http://twitter.com/YMKjp:title=メタちたがり屋@YMKjp] ([http://twilog.org/YMKjp:title=Twilog])

*1:1980年代現代思想の旗手たる浅田彰のお気に入りワード