弱者に配慮するということは"正しい"だけではなく"効率的"でもある(かもしれない)

Fireside Education frontispiece


今日言いたいのは「弱者に配慮するということは"正しい"だけではなく"効率的"でもある(かもしれない)」ということ。


所得再配分について
低所得者という弱者へ所得を再配分することは"正しい"ということになっている。しかし正しいかどうかは確定的には言えないが、少なくとも所得再配分は"効率的"ではある。低所得者のほうが消費性向が高いため、所得再配分をしたほうが"効率的"な制度になるのだ*1



子供の教育について
子供の教育に関しては断言したい。親には左右されない「社会で子供を育てる考え方」*2が必要である。子供はみな高等教育を受けたいという意思があれば大学の学士ぐらいまでは無償で通えるくらいの。なぜならば子供は将来の「社会」を担う存在だからである。子供が親を担うことになるかはわからないが少なくとも社会は担うことになる。そして、将来にわたって治安の維持などを行うためには子供の教育は「社会にとって」欠かせないのだ。現役世代のことのみを考えて子供が教育されない環境になれば、社会は維持されず、崩壊するだろう。これに関して先日内田樹先生が「教育のための共同体、医療や介護のための共同体、それから宗教の共同体」しか共同体として成り立たないと指摘されていた。その理由は以下のとおりだ。


>>『七人の侍』の組織論内田樹の研究室)

もっとも耐性の強い共同体とは、「成員中のもっとも弱いもの」を育て、癒し、支援することを目的とする共同体である。
そういう共同体がいちばんタフで、いちばんパフォーマンスが高い。


そう。そういった弱者へ配慮する共同体はタフ(持続可能)なだけではなく、ハイパフォーマンス(高効率)なのである。ということで「先頭を走ってくれるひとへ配慮する社会」と「走ることすらできていない/できない(スタートラインへ立っていない/立てない)ひとへ配慮する社会」の二項対立となった場合、「どちらがより"正しい"か」を軸に議論されることは多いですが、「どちらがより"高効率"か」という基準でも考えることができるということです。難しいですね。この難しさが僕のリバタリアンになりきれない所以でもあるのですけれど。


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効率厨ヤマケソ@YMKjp

*1:プレイヤーがやる気をなくさない程度に、という大事な前提はある

*2:詳しくは『幸せになる資本主義』参照