近代と現代ジャーナリズム

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↑のような施設は未開な人々に規律を教え込む近代的な施設だってミシェル・フーコーが『監獄の誕生』でいってた。
で、近代化のこういうシステムは「放り込んだらおしまい」ではなくて僕たちは「疑いながら監視し続けなければならない」という原則のもとなりたっている。政府が暴走しないように民衆が監視するように。こういう委託と監視の関係は近代の特徴で、ジャーナリズムももともとはそういう要請でどんどん先鋭化されていった。この委託と監視の関係は「分業と専門化」と密接に関わっている。分業と専家化はこれこそ近代の特徴で、フォーディズムがその代表例でしょうが、これによって効用(幸せ)を達成するための手法の効率化がはかれるというのが近代の最大の成果と言えます。
で、そういうところで問題が生じるのが、癒着とか情報の非対称性だろうけど、それもジャーナリズムという監視の役割があるからうまく回っていくようにできている。Wikileaksが扱う内部告発とかもそういう機能を担っている。ジャーナリズム以外にも例えば、『死刑絶対肯定論』で死刑囚によって刑務所が知的障害者の最終的な行き場として機能しているということなどが「内部告発」されるといったような、こういった良書もある意味での分業と専門化にあたる。こういった本を契機として公共的な"サービス"の設計が最適化されることが期待できる。



この近代シリーズ続きでエントリー2本書きます。

近代っ子世にはばかる@YMKjp