アニメ史、アニメ師、アニメの死?: ぼくたちのアニメ史
2007年の『ひぐらしのなく頃に』の放送中止騒ぎを話題にし、『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』の後半の乱れを惜しみ、『銀魂』のギャグに舌を巻いて、『エヴァ』の綾波レイに萌えてる人なんていくらでもいそうだよね。当たり前すぎるくらい。
じゃあそれが昭和一桁世代の人だったら? ビビるよね。
綾波レイのマウスパッドを愛用する75歳。本書の著者はそういう人。そしてそういうものをつくったひと。
つまり、本人降臨。
辻真先というアニメ(師|史)
本書の著者である辻真先(@mtsujiji)はまさに「アニメ」をその黎明期からつくってきた人物である。
鉄腕アトム、デビルマン、巨人の星、サザエさん、ドラえもん…
携わったアニメが比喩ではなく本当に「数えきれない」人。
アニメはもうそんなにも振り返られる存在になったのだ。
アニメ史から、本書から、学び取れることはもうすでに十分にある。
アニメ史が教えてくれるもの
アニメはつねに虐げられてきた。当初はそれを放映するテレビ自体も軽んじられていた。やれ電気紙芝居や、やれ一億総白痴化や。
しかし、それが今や、どうであろう。
どれもがそのタイトルを見ているだけで晴れ晴れしい気持ちになれる作品たちであるが、アニメ史が教えてくれるのはこれらの作品がデビュー当時は「もっと評価されるべき」とタグ付けされるような作品であったということ。つまり、「数字が取れなかった」。
なんとも勇気の出る話ではないか。もはやこれらを抜きにして日本の文化を語りえないほどの作品ですらも、デビュー当時は見られなかったのである。
アニメ史、アニメの死
『鉄腕アトム』で本格的に始まったテレビアニメも、今では週60本も放映されている。現代ではアニメを政府までがかつぎ出すようになった。そのこと自体がもうクールじゃないと考える向きはあろうが、アニメは死ぬのか?
翁に聞いておこう。
アナログだ、デジタルだ、CGだと騒いだところで、アニメを創りだすのは要するに「ヒト」だ。この小史がページを閉ざしても、今日明日あさってとアニメ界に身を投じる若者は後を絶たないことだろう
なるほど。アジア勢であろうが、最新のテクノロジーであろうが、ヒトがいる限りアニメは死なない。Miles Davisによって生み出され、彼自身によって殺されたと言われるジャズも、本当のところはヒップホップやロックにヒトが流れたことで死んだ。それと一緒だ。僕たちがアニメを好きである限りアニメは死なないし、みんなに好かれないものは死んでいくんだ。
難しいことは考えず、著者もオヌヌメする『電脳コイル』でも楽しみながら、新しい『ぼくたちのアニメ史』を紡いでいこうか。