2つの哲学にのっとって動くリバタリアン
『甦るリヴァイアサン』を読みました。
それを読んで考えたことを書きたいと思います。
リバタリアン人の2つの哲学
- 自由は(他人の自由を侵害しない限りは)一番大切なモノ
- 自分のことは自分で守る
今、世界各国ひろしといえど、リバタリアンが大多数いる国家といえば、アメリカしか聞いたことはありません。
つまり、アメリカ人は自分の一番大切にしている「自由」を自分で守る。
だから銃とかを重要視する。
IntelとかAppleとか、パソコンにつよいアメリカ人たちはパソコンで使う暗号を自分たちを守る武器だと思っている。
実際は、自分の分身がいる家族も守る*1。
アメリカの2つの哲学に則って政治家はどう動くか
で、その政治家たちが集まってどう動くかというとなにを基準にしているか。
「自由」だ。アメリカでは「平等」でも「博愛」でもなく、「自由」を追い求める政治家が、党派をなして政権をとれるほどに自由という概念に対する素養は分厚い。しかし、アメリカの建国からの歴史において常にリベラリストやリバタリアンが多数派であった時代があったかといえば、決してそれは多くはなかったという。
アメリカは自由主義*2。
だから自由の反対の「規制」には反対する(日本にもそれを押し付けてくる)。
経済にもその哲学を適用して、規制なんてしないで、市場に任せておけばいいと。
草の根自由主義者たち。リバタリアンほど先鋭化はされていなかったに違いないが、同作中ではアメリカにおいても決して自由主義者が多数派であるとは言いきれないことを表している
「米国の自由主義に捧ぐたった1つの反論」
こういう思考実験をしてみた。
【自由至上主義(アメリカの自由主義)の陥る罠】
自由⇒寛容⇒多様性(マルチチュード)⇒カオス⇒虚無主義⇒カリスマ⇒ファシズム⇒NOT自由
- 自由至上主義が目指す多様性(⇒カオス)から民意を汲みとる制度の構築は不完全な人間にはできない
- そのままいくと(政治体制が行ったり戻ったりするから実際は起きないけど)カリスマが求められる*3
- カリスマが哲人政治を行うことはできないのでファシズムに走る
じゃあなんでファシズムに走ってみんなハッピーになれない自由なんてみんな信頼できているのか?っていう話だけど、それは2つある。
アメリカ人が自由を信じている理由
- だって個人が自由にやっていくシステムを上手く作ったGoogleとかは成功しているじゃん
- 似たような人たちが集まっている空間ではうまくいく(シンプソンズの世界みたいなもん)
でもそもそも自由が一番いいものとしても制度としてうまくやることは無理。
そこはオバマ大統領が一生懸命工夫しているところ。
だから彼は厳密な意味での自由主義者ではない。