ダン校長と企業戦士

学校にブランドを期待する人が困る
小飼弾さんのブログのお話。
先日の早川書房のサンデル講義で話題になった「ダン学校」についてダン校長自らがその弊害について話されている。

金持ちの寄付で学校を拡充して入学枠を増やして行けば、いずれは学校は「誰もが入れる」ものになるだろう。
s/寄付/税金/gとすれば、それは公立学校ということにもなる。こうすると誰が困るのか?
学校にブランドを期待する人々である。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51510223.html

まずはじめに言っておくと「私は弾校長に賛成である」ということ。
講演会をニコ生で見ていた僕も断行長自らが言及したブランドについて考えていた。
しかし、学校にブランドがなくなって困るのは受験生だけではない。



ブランドを期待する企業戦士
学校にブランドを期待する人びとは、受験生だけではない。優秀な学生を採用したい企業も例外でないのだ。

  1. 優秀な人間を効率よく採用したい
  2. 入社後に社会的資本(リレーション/コネ/ツテ)をフル活用させたい

この2点において、学校のブランドは重要である。
もはや学歴で採用している企業はないという視点もあるが、学歴不問のオープンで採用試験をしてみれば結局上位校に内定が集中していたという事実を忘れてはいけない。
つまり、上位校から採用していくことが企業にとって効率がいいのだ。新卒一人当たりの採用コストは200万円というから、企業にとってもバカにならない。
大企業は「数撃ちゃあたる」方式で効率の悪い学歴不問の採用を行えるが、学歴を重視して効率よく採用をしたい企業はそんなことはしないのである。
実際に、外資系企業は学歴重視である。



では企業戦士はダン校長の出現によって困るのか
では、現在の有名大学が学歴重視のみで試験を行っていると仮定しよう(これは実態と激しく異なる!)。
そして、その有名大学が弾校長が提唱するような方式にシフトしていったとしよう。つまり、学力の低い子供の親に2000万ドルを寄付させて、入学を認めたとする。
この場合、2000万ドルを寄付することによって、大学側が奨学金を設置し、優秀な学生を入学させることができ、また優秀な教員を雇うことによって、大学全体の質も向上する。
しかし、ミソは、「2000万ドルの対価として入学することができた彼/彼女」(Aさん)を採用でつかまされた企業戦士である。
企業戦士は、果たして損をするのか。ここで企業がブランドを重視する理由に立ち返りたい。

  1. 優秀な人間を効率よく採用したい
  2. 入社後の社員に社会的資本(リレーション/コネ/ツテ)をフル活用させたい

少なくとも、2.社会的資本 に関してはAさんは備えていることになる。
では、1.についてはどうだろう。
Aさんは、奨学金によって入学した友人や、優秀な教員によって、「優秀な人間」になることができているのか。
これは、学歴不問のオープンで採用試験をしてみれば結局上位校に内定が集中していたという事実の原因が何かということに言い換えられるのではないか。
つまり、有名校に”いる/入った”学生がなぜ優秀だったかという問題だ。

  a. 環境が良かった説: 有名校に入学して、周りに意識の高い学生や教員が多く、それに感化されて、優秀になり得た
  b. 入学までの努力説: 有名校の偏差値に到達するまで努力するような素地ができていたから、優秀になり得た

a.環境が良かった説 ならば、Aさんは優秀になっていて、企業戦士ともWin-Winの関係を築くことができる。
しかし、b.入学までの努力説 であったならば、企業戦士とWin-Winの関係を築くことはできないのである。



私をダン学校へ連れて行って
実際には、a.環境が良かった説 b.入学までの努力説 どちらが学生を優秀にしているかを峻別することはできない。
しかし、ダン校長がいう「高速道路を利用するためには運転免許が必要」という教育方針を考慮したい。
Aさんは運転免許証は所持しているのだ。
であるならば、学力試験ではかるような知的水準ではそこそこのレベルには達しているということだ。
ここまで来れば、Aさんを採用した企業戦士にとっても、Aさんを入学させることによって2.社会的資本 がより価値あるものになったことを考えれば、それぞれの重み付けによるが、全ての要素に対して損をしているわけではない。
かくして、Aさんとその親御さんにとっては言うまでもなく、その他の学生、企業戦士にとってもダン学校へ入ることは効率がいいということになった。
優秀な教員、学生の集まる質の高いダン学校への入学者は殺到するに違いない。



Written by 就活戦士にすらなれない@YMKjp (Twilog)