僕がアニメを見ない理由(おもしろすぎて骨抜きになる)

僕がアニメを見ない理由
突然ですが、最近はめっきり小説もマンガも読まなくなりました。映画も、最近ではペースが落ちました。アニメなんて、全然網羅していなくて、劣等感です。それについて。

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小説、映画、マンガ、ゲーム、アニメ*1。。。
典型的な物語の担い手。これらはドラマを通して、「現代」を表そうとする。

僕たちはそれで、「現代ってこうだよね」っていうのを共感できる。現代を生きている僕たちは、日常でリアルに感じている不安を、その作品で共感で解消する。
作家は、自らのリアルに基づいて自分なりのリアルを表す。それが的確であると、「名作」となりいずれ「古典」となる(古典は後世の「知」となる)。
ここには注意点があって、物語は、エンターテイメントで「楽しい」と思わせて見続けさせる技法がないとダメ。見てもらわないといけない。だから作家は必死で(もしくは"天性"で)そのエンタメ技法を体得し、駆使している。
僕は、この恐るべき共感装置たるアニメに毒されないために、アニメを見ないのです*2。映画はどうしても面白いので見てしまいますが、見ない方がいいのかもしれないとは思っています。時間の浪費だからです(古典とされるような小説や映画なら別です。こちらは、消費の効率がいいです。その時代のことをあまりコストをかけずに知れます。アニメにもそろそろ古典となるような作品はありますね)。
そういうことで、アニメをみるくらいなら、ノンフィクションで、事実をたくさん知ることに時間を当てています。
小説は本なので、それを読んで、それで「本読んだ感」で満足しますが、小説も所詮は悪しき共感装置です。



ここからは僕がアニメを見ない理由というよりは、アニメとか小説にハマっちゃってる文系大学生への僕の勝手な不満というか、もっと一緒にいろいろ議論したいんですけど宣言です。


「生きる知恵」なんて必要ないですか?
さっき言ったように、アニメはめちゃくちゃ効率が悪いです。今の日本に生きていて、自分でもその場にいて実感していることを、わざわざ見て「知る」のは二度手間で効率が悪いです*3

現代の日本作家は、僕たちの不安を癒しはしますが、言ってしまえばそれだけです。ほどほどにしたほうがいいと思います。"うまいこと言っている(それが「エンタメの技法」でしょう)"だけですから。「生きる知恵」を得ることができないとは言いませんが、効率が悪すぎます。
確かに、日本では「生きる知恵」はもはや必要ないだろうって思う気持ちもすごい分かる。戦中でもなければ、戦後ですらないんだし。
でもやっぱり甘いと思うんですけど。そう思う人は、アニメとかに毒されて、すでに「骨抜き」になっているんではないかと僕は疑ってしまいます。少なくとも僕たちの世代(今の20代)には多いです。金魚鉢のなかでぬるぬるしていればいいじゃんッっていう。同胞よ、そんなんでいいんですか?
(偉そうですが、ご笑覧ください)
「ポストホダンなんだし、いいじゃん?」って言われるかも知れませんが、このグローバル化の折、ちょっとぬるいと思います。もうちょっとだけ、現実をみたほうがいい。危機感がなさすぎで泣ける(本当に偉そうすぎてごめんなさい)。



ノンフィクションやSFの強み「浮き彫り」
それで、アニメなんか、見なくていい、小説なんか、読まなくていいと言っていますが、「事実を知る」ということにももっと注力したほうがいいと思ってそう言っているのです。
「事実を知る」っていうのは、完全に知り尽くすことはできません。時間は有限ですから追いきれません。でも、だからといって、「見なくていい」とはならないでしょう。
事実を知るとか言っても、ハウツー本やらビジネス本だけ読んでいても、生きていけない/成功できない(確率で偶然成功はありえますが、もっと確率を引き上げうると思います)ので、自分の本業とか専攻に関係の無い本を読むべきだと思います。そうすることで、失敗を防ぎ、情報を通して事実を知り、今、社会にないことを出来る限り明るみに出して、浮き彫りにする。それが分かっているからこそ、例えばビジネスで言えば、参入すべき分野も読めるし、その事業をいかにマイナーチェンジしていくかということも分かるし、退散する潮時も分かると思うのですが。もちろんそれらは全て「ある程度」ですが、それだけでもずいぶんと確率は上がると思うのです。
ということで、ノンフィクションというと、限定されますが、広い意味のノンフィクション本を自分の専業やらに関係なくても読んだほうが、いい。そう思います。
特に文系の人ではブルーバックスですら難しいことも分野によってはあるので、SFだとフィクションではあっても「不安を癒す系」というよりは「新しい科学技術を具体的に教えてくれる系」も多いので、僕はどんどん読んでみようかと思っています。



リアルを代替してる物語こわい
物語は、作家に付属して、そのエンタメ技法などをとらえて「その作家っぽさ」というものをふくんでいます。その技法ではパフォーマンスという作家自身のプロデュースも含まれるでしょう(むしろ、それができない作家はいわゆる一発屋でしょう)。
僕たちは、物語だけでなく、そのパフォーマンスをも含めたエンタメ技術全般すらも消費しています。作品ごとに串刺しにして。つまり、物語は、作家という身体を有したリアルをも範疇に含んで消費されているのです。
僕は友人が作った自主制作の映画をみて思ったのですが、知っている人がでていれば「見る気」になります。それと同じように、映画などでは、僕たちが「知っている」有名人が演じています。
小説に比べアニメや映画では、消費の対象となるリアルな身体が増えます。俳優や声優などの「演者」です。僕は最近まで気づかなかったのですが、オタクたちは萌えアニメで声優にまで消費の手を広げているのです。



アニメをずっと見ていていい例外の人
作家志望。作家志望の人は、「エンタメ技法」を学ぶために、僕とは違って、たくさんのアニメとかをみるべきかもしれない(天性型の人なんてものがいれば、彼/彼女は見なくていいかも)。
岡本太郎が提唱したような「一億総芸術家」の時代はまだ、なんか遠いような気がするので、現状では、ずっとアニメを見ているのはダメだろう。
クリエイティブ産業やら文化立国なる怪しげなものにまで政府すらもまさにわらをもすがるという様相を呈しています。
いやあ、どう考えても怪しいでしょう。まだ、ITとかのほうが(もはやITはプラグラミングまで含めてリテラシーレベルでしょうが)重要だと直感的に分かります。
要するに、エンタメ技法も技法は技法ですから、それで飯を食って子供を育てたりしていくつもりの人は、いろいろ学べていいと思います。


コラム: アンチ新書批判序説
「新書なんて間違ったこと書いてあるし読まなくていいよ」っていうのは、どうかと思う。聞いていてむなしい。すべて正しい内容にするっていうのは教科書でも難しくて、最先端を扱う内容となると、なおさら。そういう点も含めてのリテラシーでしょう。

新書がベスト (ベスト新書)あまなつShopあまなつで見る同じレイアウトで作成

ちなみに今回の元ネタの新書は(マイクロソフト日本法人の元エライ人っていうイメージですが)成毛眞『実践! 多読術』とかです。

Written by YMKさんが「ノンフィクション宣言!」を採択しました@YMKjp (Twilog)

*1:これから以降は長いですので、それらを代表してもっとも現代でハイコンテクストな"アニメ"に焦点を当てようと思います

*2:安心したい程度には見ます。しかし、ドップリ浸からず、ほどほどに

*3:ここで自分にも言い聞かせておきますが、「アニメは効率で見るもんじゃない」っていうのは趣旨にそぐわない視点ですよ。僕はそれで楽しむ分には全く問題ないと思っています