人間はなぜ都市をつくってきたか

New York City Skyline from the Ferryphoto © 2005 Andre Natta | more info (via: Wylio)

都市=人口の集積
都市とは人口が集積した地域でのことである。つまり人間がなぜ都市をつくってきたかという問いは「人間はなぜ集積するのか」という問いに換言することができる。都市といえば現代では高層のビルなどを想定しがちであるが、これは人間が集積している地域の限られた土地を有効に使用するために必要となって生じたにすぎない。
さて、人間はなぜ集積するのか。資本主義を中心とした近代的な文脈からその理由を推測するに、それは集積したほうが効率がいいということが思い当たる。この「効率」という視点は、人類がまだ十分に近代化していなかった中世のヨーロッパにおける都市にも当てはめることができよう。最も簡明な例は城塞都市である。人間は、脅威から効率よく身を守り、効率よく治安を維持するために集積したのである。効率よく治安を守ることができるかどうかという生死に関わる問題は当然ながら西洋に限らず世界中の都市に敷衍させることができるだろう。が、しかし人間は都市を効率だけのためにつくってきたと言い切ってしまえるほど私たちは単純なのだろうか。


人間は効率のためだけに都市をつくったのか
人間が効率のためだけに都市をつくったとは想定しがたい(思いたくないだけかもしれない)。そこで、世界の都市文明を語るうえで欠かせない中国を見ていきたい。中国の都市は破壊と復興を重ねながらさまざまな様相をくりかえし見せてきた。しかも、中国ほどにその都市空間のありかたが明快なのは珍しい。広大な中国には性格の異なる様々な都市があるが、やはり最も代表的な都市は北京であろう。その北京の王都は見事な左右対称である。これを効率から導き出された結果とだけ見ることはできるだろうか。確かに碁盤の目のように配された道路は効率的である。しかし北京の王都は効率よりも、むしろ皇帝の権力を裏づけるという文脈が重要視されている。入れ子構造で中央にいくほど格が高くなる構造などには、風水や宇宙観が組み込まれていたのである。つまりこれらのシステムは少なくとも設立された時代の静的な意義においては必ずしも効率だけが考慮されていたわけではないのである。
以上みてきたように人間がなぜ都市をつくってきたのかということは効率という点からたぶんに説明できるものの、しかし呪術的な理由で都市空間が決定されてきた局面もたしかにあるということも指摘できた。ただ、呪術的な要素に関しても近代化が達成されていない当時の状況から、より近代化された都市への変遷のために選択しうる統治のための最善の手法であったという動的な視点ではある意味効率的であったとすることもできるかもしれない。人間がなぜ都市をつくったかということが人間にすべて分かるとは限らない。養老孟司は都市を脳に例えた。都市は人間が設計したものであるから自然状態の空間よりも脳にとって「やさしい」のである。しかし人間が常に使用しているのにも関わらず、あれほど単純な構造である脳のことをすべて解明できていないように、人間が都市のことをすべて解明することはまだ先のことになるのかもしれない。


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