中国や韓国を責める。日本だってパクッてきたのに。いやしかしそもそも…


もうパクリはされないので安心
中国や韓国が他国の製品やアミューズメントパークをパクったりしていることに対して怒っているひとが僕の周りにも多い。でももう心配しなくていい。もはや日本に模倣される魅力的な製品を生み出す潜在的な能力は東アジア諸国に劣っているのだから。もうパクられる心配はいらない。
iPhoneはアップルだし、ギャラクシーを作っているのはサムソンだ。


日本がパクってきた歴史は棚上げ
ちなみに日本も「イエローモンキー」とか言われながらパクってきた。それでいて中国や韓国をディスるとは棚上げもはなはだしい。「いや。とは言っても中国やらのパクリはあからさますぎる」とはまっとうな反論に聞こえるが、それは記憶を美化しすぎ。というか、そもそもどれくらいの勢いで日本がパクってきたのかをそもそも僕達の世代は知らない。



そもそも①: パクリに対する異常な執念はなんだろうか
話が飛びとびになる*1
そもそもパクリに対して怒る気持ちはどこから生じるのか? まだ直接パクられた本人が怒るならば分かる。しかし部外者が「義憤」するのはなぜか? パクリ音楽を「リスペクト」か「パクリ」かなどを本人でもないのに詮索したくなるゆえんはなにか? 文化はミームによって交配されるのではなかったのか?


そもそも②: 国は語れなくなりつつある
明治維新が二度と起らない理由 - 矢澤豊

「わしはもう『日本』だけの事を考えるゆうがは出来んのです。」

そう。そもそも「中国」やら「韓国」やら「日本」やら近代的な国家観ではどうやら語り尽くせないことがあまりにも多くなっているようで。
明治時代初頭、殖産興業をおこした「工部省」の技術官僚が、薩長土肥やらの「藩閥意識」ではなく日本という「国家」観をもって行動するようになったように、今で言うならばイノベーションを起こすベンチャー起業家でしょうか、そういった人々が国家の枠にとらわれない動きをしていかねばならんのです。Wikileaksはその走りとして絶賛ぶっ叩かれ中ですが(それは「国家」として当然の対応です)、来るべき「個」の時代、僕たちはどうやって身を振りそして思考するのか。柔軟な思考をせなあきまへんなぁ。


シミュラークルとしての僕@YMKjp

*1:もっと分かりやすい文を書きたいが、推敲する時間もなければ一発で教養香る美文を書く能力も(まだ)ない。