公共性のバランス - 『幸せになる資本主義』

田端博邦『幸せになる資本主義』読みました。

『幸せになる資本主義』なう。
素晴らしい、これほど体系的に整理された内容とは。大きな政府と小さな政府の二元論から抜け出したネクスト「公共性」を踏まえた内容。
http://twitter.com/YMKjp/status/21136187488

次世代を担う子供は社会資本
このあたりが慧眼だと思います。いまは、子供の教育というと個人の自由、具体的には家族の中で子供を育んでいくという視点が大きいです。しかし本書で指摘されていたのはよく言われる、「地域のみなさんで子供の面倒をみていきましょう」というようなものではありません。あくまで、子育ては核家族型で回していこうという枠組みの中で考えられています。しかし、それでいて、少子化や、人材育成や教育の問題を経済の視点から捉え直そうとされています。かなり現実的です。単なる懐古主義ではありません。子供を、社会的資本と捉えて、少なくともその金銭の負担は税金という社会が担っていこうという提言でした。社会資本を公共性をもったものとして捉えるこの姿勢は今後のトレンドとなっていくでしょう。



社会的資本主義としての「教育」と「住宅」
この本の本質を表す帯にある文句はこうです。

大学を含む教育費と住宅費は、日本の平均的なサラリーマン家計のに大支出項目である。
しかし、こうした費用を個人が私的に負担しなければならない、という考え方は、世界的に見れば必ずしも当たり前のことではないのである

この地の文の前後に【さらば! アメリカ型「自己責任」社会】や【新自由主義の時代からの転換!】と赤字で煽られていますが、若干大げさです。
本書内でも指摘されていますが、アメリカ型*1の優れた点とは何ら矛盾しないのです。
以前僕は人生の3大出費(住宅・保険・教育費)節約まとめという記事を書きましたが、本書で中心として触れられているこの日本における「2大出費」に拘泥されない社会をぜひとも想像したい、つくっていきたいと思わされました。
例えば、先程触れた子供(に限りませんが)の「教育」以外にも、「住宅」という西欧型の制度(本書ではライン川付近ということで「ライン型」と呼ばれていました)が例示されていました。



アメリ社会民主主義(ネオ・アメリカ型)と西欧型
本書の記述は西欧やアメリカ型の政策への見地に基づいており、欧米礼賛批判に帰結させてしまうのはもったいなすぎる内容でした。昨今の(オバマ政権以降顕著になった)、アメリカの動向が分析されていました。従来のアメリカの「自己責任」社会から必要な分野においては決別しようという動きです。これは、僕たちも当然報道などで知ることはできますが、難航しています。しかし、社会保障政策や金融規制など、明らかに従来からは方針転換しています。アメリ社会民主主義(ネオ・アメリカ型)という新しい呼び方がされるのにも、これは単なる名付けのトリックなどには収まらない、アメリカの実態に即した名称であると納得が行きます。



確かに、歴史は繰り返します。例えば上図で言えば、Aが右翼、Bが右翼の対立は過去の歴史に洋の東西を問わず見ることができます。もちろん、一個人や政治家をとらえて「右翼か、左翼か」などと問うことがもはやナンセンスなのは実感があります。このようなパラダイムシフトの軸が次は、「大きな政府」「小さな政府」というものになろうとしていることを本書は告げています。分野によって、政府と市場(そしてその混合)で役割を分担させるのです。それが、例えば、教育や住宅、他に本書で触れられていたのは医療やメディア*2です。これらの公共性が認められる分野については、政府の監督や規制が行き届いた状態で、かつ市場の原理も働くような混合型の(バランスは求められますが)仕組みが適切であるとされていました。
もちろん政府が以前から担ってきたライフラインなどの典型的なインフラ事業など、そのような公共性の高い事業はこれからも政府によって担われるでしょう。そして、逆に戦後の日本が高度成長期に行って来たような産業やイノベーションへの政府の介入はここ10年ほどで明らかにナンセンスとされるようになりました。このような分野は今後は可能な限り市場に開放され、規制も撤廃されていくでしょう。


もしかして: 政府と市場の今後の役割予想図

政府 ライフライン
混合 住宅 メディア 教育 医療
市場 一般企業 イノベーション ベンチャー



Written by 公共性を考える私人@YMKjp (Twilog)

*1:本書で用いられていた「(国名)型」と呼ぶ手法は優れた表現であると思いました

*2:メディアは日本のような民法が多い報道体制は世界的には"非常識"であるとされていました